コラム
2022/04/11
完封負けした前夜のゲームから数えれば、スコアボードには17個連続の「0」が並んだ。
4月6日、甲子園でのタイガース戦。ベイスターズ打線は相手先発の伊藤将司を打ちあぐね、0-1で9回の攻撃を迎える。
四球で出塁した桑原将志が二塁まで進んだものの、すでに2アウト。打席の牧秀悟も追い込まれていた。
このとき、ブルペンにあるモニターに向かって伊勢大夢は祈った。
「頼む。打ってくれ――」
願いは通じる。打球は、飛び込んだ中堅手のグラブの下をすり抜けるように天然芝に落ち、桑原が生還。久々にスコアボードに「1」の数字が灯ると同時に、伊勢の心にも火がついた。
「バチッとスイッチが入った。戦闘態勢になりました」
延長11回表、先頭の大田泰示が三塁打を放ち、勝ち越しの絶好機が到来する。しかし、後続が倒れて得点は入らない。
悪い流れに傾くなかで、伊勢は敵地のマウンドへと向かった。
2020年、ドラフト3位ルーキーだった伊勢はさっそく一軍で活躍の場を得た。変則的なフォームから繰り出されるストレートには威力があり、中継ぎとして登板33試合、防御率1.80の好成績を残す。
ただ、そこには決定的に欠けていたものがあった。
「がむしゃらにやって、なんとなく抑えられていた。これだから抑えられている、という根拠がなかった」
2年目に反動が出た。何が通用したのか、わかっていなかったから、上滑りの調整しかできないまま開幕を迎えた。結果、シーズン前半は一軍とファームを幾度も往復することになる。
東京オリンピック開催に伴うペナントレースの中断期間が転機となった。伊勢は言う。
「何かしら自信を持たないことには、上(一軍)では生きていけない。じゃあ自分の何が通用するのか。そう考えて、とにかくまっすぐの質を高めよう、と」
ストレートにフォーカスして取り組み直し、エキシビションマッチで打者を抑えるごとに確信を深めた。プロ野球の世界で戦える“根拠”を手にした伊勢は、シーズン後半を一軍でまっとうした。
終盤には、クローザーを務めていた三嶋一輝と山﨑康晃の不振を受けて、最終回のマウンドを託された。
2021年10月3日、東京ドーム。1点リードの9回裏が初舞台だ。
先頭打者はジャイアンツの主砲、岡本和真。四球で歩かせ、代走の増田大輝に二盗を決められた。2アウトまでこぎ着けたものの、大城卓三の二塁打で同点に追いつかれ、試合は引き分けに終わった。
伊勢が振り返る。
「1点差のマウンドは酷なもの。ここで投げているピッチャーの気持ちを知れたことがいちばん大きかった」
同9日のドラゴンズ戦で再チャレンジしたが、3失点で負け投手に。「いつかはここで」と志すクローザーまでの距離の遠さを痛感しつつ、2年目のシーズンを終えた。
今春のキャンプイン直前、伊勢は新型コロナウイルス陽性判定者の濃厚接触者とされ、出遅れを余儀なくされる。2月6日から合流したものの、「このペースで大丈夫なのか」と不安を覚えていた。
そんな折、コーチングアドバイザーの小谷正勝から声をかけられた。
「意外と、考えちゃうタイプなんだよな。考えながら投げるんじゃなくて、体で感じながら投げてみろ。投げて覚えるんだ」
その助言は、投げ込みの必要性を感じていた伊勢の思いと合致した。同13日、宜野湾のブルペンで150球。肉体的なきつさが出てくるなかでの投球の感覚を体に沁み込ませた。
「いつでもできる球数じゃない。あの瞬間にしかできなかったこと。シーズン終盤の苦しいとき、体がきついときに、あの感覚が出てくると思う。そのときになって(投げ込みの成果が)生きてくる」
オープン戦が行われていた時期、「ずっと状態は悪かった」。ただ、早い段階で課題が明らかになったことは幸運だったかもしれない。オープン戦終了から開幕までの数日間、木塚敦志投手コーチと改善に取り組み、「どうにか元のストレートの状態に戻せた」。開幕後すでに5試合に登板したが、状態は上向きだと話す。
その5試合目が、4月6日のタイガース戦、1-1の同点で迎えた11回裏だった。
マウンドに向かいながら、伊勢はこう考えていた。
「流れからして、どうあがいてもランナーは出るだろうなって。ただ、フォアボールだけは嫌だった。勝負できていないと見られてしまうし、ブルペンもバタつきますから」
先頭打者は大山悠輔。伊勢の制球は定まっていなかったが、ストレート主体の配球で追い込んだ。決め球に選んだのはスライダー。前夜の対戦では外角低めにコントロールし、空振りの三振を奪っていた。
ただ、それが仇となった。
「(自分の頭の中に)その残像があった。吸い込まれるように中に入ってしまった」
三遊間を破られ、サヨナラの走者を出す。送りバントと申告敬遠で、1アウト一二塁。打席に小幡竜平を迎えた。
一打で勝負が決する場面、バッテリーは慎重だった。カウントは3ボールに。このときの心境を伊勢が明かす。
「もっと大胆に行ってもよかったのかな、という反省はあります。でも、簡単に決着をつけさせたくない思いもあった。あっさり打たれちゃうと、どうしても悔いが残るので」
脳裏をよぎったのは、昨年10月の東京ドームの光景だ。あとアウト1つで勝てる場面。大城を追い込んでおきながら、高めに浮いたチェンジアップを痛打された。
「ワンバウンドのボールを投げて、その次にまっすぐで差し込めれば、三振かフライになると考えていました。なのに(ストレートを投げる)一つ手前で決着がついてしまった」
慎重であるべき場面で慎重になれた。だからこそ、焦りはなかった。4球目以降は、自信を培ってきたストレートをゾーン内に投げ込む。最後は内角をえぐって見逃し三振。続く梅野隆太郎に対しても、浮き上がるような軌道を描くストレートで押し込んでショートゴロに打ち取り、窮地を脱した。
直後の12回表、ベイスターズ打線は一挙5得点。伊勢に今シーズンの1勝目がついた。
小幡との対戦時に生きたように、クローザーの役目を果たせなかった経験は、伊勢の貴重な財産になっている。
あらためて、こう振り返る。
「今日からおれはここで投げていくんだ、というくらいの気持ちで向かったマウンドだったので、その出鼻をくじかれてがっくりきました。東京ドームでの試合が引き分けに終わったとき、三嶋さんが自虐を交えて言ってくれたんです。『同点に追いつかれてなお満塁。おれだったらもう1点取られていたと思うよ』って。点を取られたのに、よく抑えたと言ってもらえて助けられたし、当時一軍にいなかったヤスさん(山﨑)からもLINEで『明日またがんばろうな』ってメッセージをいただいた。ブルペン陣の争いもあるけど、やっぱりチームなんだなと思いました」
クローザーというポジションへの思いを問われると、強い口調で言った。
「去年はたまたま、先輩方が調子を落としたところでポジションを与えてもらっただけ。あの人たちがいる間に、実力と信頼で超えて、あのポジションで投げさせてもらえるようになりたいと思っています。いなくなって与えられるようでは、それは確立したとは言えませんから。奪い取る気持ちでやっていきます」
3年目を迎え、「これまでの経験をチームに返していかなければならない立場」と自覚する。チームが苦しいときにこそ、頼られる存在に――。
それはまさしくいまだ。
コロナの陽性判定者が相次ぎ、一軍で戦っていた選手の多くが一時戦線を離脱した。緊急事態のなか、チームは戦いに臨まなければならない。
伊勢は言う。
「当然、勝ちにいきます。ここからは助け合いになるし、チームの力が試されるところ。自分としては、中継ぎを引っ張っていけるようにしたい。球数を減らすことを意識していけば、連投や回またぎにも対応できると思う。流れをよくするのも悪くするのもピッチャー次第。チームにいい流れを持ってこれるような投球をしたいと思います」
この危機を救ってこそ、未来の守護神の座に一歩近づけるはずだ。