コラム
2022/07/04
一瞬の静寂のあと、審判があらためて繰り出したセーフのジェスチャーがサヨナラ勝ちの合図となった。沸き立つ歓声と舞う水しぶきを背景に、長身偉躯の男が右拳を突き上げながら走り出す。きっと今シーズンいちばんの、映画的なワンシーンだった。
主役の座をかっさらったのは大田泰示だ。濡れ髪のまま初めて上がった横浜スタジアムのお立ち台。そこで目にした光景を思い返す。
「球場が暗くなって、みんながライトで照らしてくれて。ほんとに気持ちいい、きれいな景色でした。ファンあってのプロ野球なんだなって感じましたね」
壇上、そのファンに向けてのメッセージを促されると、DB.スターマンのぬいぐるみをそばにいたDB.キララにやさしく託し、準備万端。ここに立ったら言おうと決めていたセリフを夜空に向けて絶叫した。
「ヨコハマサイコーー!」
昨シーズンの終了後、万雷の拍手とはほど遠いところに立たされていた。ファイターズは大田を含む3選手をノンテンダーとすると発表。聞き慣れない言葉をどう解釈するべきか、球界では議論が巻き起こり、オフの大きな話題となった。
大田は当事者としての心境をこう振り返る。
「球団に『戦力として考えていない』と言われれば、ぼくたち選手はそれまで。プロ野球ではつきものですし、自分がチームに必要とされる選手ではなくなったということは受け止めるしかなかった。危機感というか、いずれは戦力外(通告)が来るという心の準備をしてはいましたけど、いざ言われるとなると、正直なところ驚きはありました」
幸い、複数球団からアプローチがあった。ベイスターズも手を挙げた。東海大相模高出身の大型外野手獲得へ、交渉の席が設けられた。
「三浦(大輔)監督や編成部長の進藤(達哉)さんたちに、熱心に話していただきました。自分も高校時代は神奈川で野球をやってきた。ハマスタで優勝したいという監督の思いと自分の思いが合致して、入団させてもらうことに決めました」
ジャイアンツでの8年間を経て、ファイターズに在籍した期間は2017~2021年の5年間。最初の4年間はいずれも主力として100試合以上に出場し、2ケタ本塁打を続けた。ただ最後となった1年は、出場76試合(うちスタメン43試合)、3本塁打、打率.204に留まった。
低迷の要因を、大田自身はこう考える。
「自分のバッティングを見失ってしまった。よりよい結果を出すためにどうしなければいけないかを考え過ぎたあまり、その考えが邪魔してしまったかなと思います」
打開策は「バッティングに対してシンプルになること。来たボールを打つ」。背番号「0」がプリントされたブルーのユニフォームに袖を通し、心機一転、再スタートを切った。
春季キャンプは、いきなり新型コロナウイルス陽性判定者の濃厚接触者とされて1週間ほど出遅れた。隔離後ようやくチームに合流し、新たな環境で練習に励んだ。
「3球団目になりますけど、どのチームもカラーが違う。ベイスターズはすごく熱気のある選手が多いですし、野球が大好きなんだなっていうことが雰囲気から伝わってきました」
台湾のウインターリーグでチームメイトだったことのある桑原将志や、年齢が近く、イースタンリーグで鎬を削ってきた田中健二朗や平田真吾らがすすんで声をかけてくれた。また、一軍打撃コーチの鈴木尚典、野手総合コーチの石井琢朗らが打撃再生のためのアドバイスを送った。
「いままではバットを長く持っていましたけど、琢朗さんからは少し短く持つようにと指導してもらいました。コンタクト率を上げて、バットの芯に当てるためです」
大田の特徴の一つは、長打力。むやみに大振りせずとも、芯で捉えれば十分な飛距離は出る。
ただ、オープン戦期間の成績は芳しくなかった。32打数3安打の打率.094。大田は言う。
「毎年のことなんですけど、オープン戦はあまり得意じゃないので……。しかも新しいチームに来たということで、空回りしている部分もあったと思います。野球をやっていれば、いい結果が出るときも、悪い結果が出るときもある。でも、そこでいろいろと考え過ぎて、自分が持っている力を出せないのはもったいない。そういうふうに考えられるようになってから変わってきました」
少しずつ調子を上げ、4月後半からスタメンで起用されることも増えてきた。その矢先、5月8日のカープ戦で右足を痛めた。太もも裏の肉離れだった。
6月9日に32歳の誕生日を迎えた大田は、自身の肉体についてこう話す。
「自分としては意外と動けているなと思うんですけど、ふとしたときにこれまでとの違いを感じることもあります。筋肉痛が2日後に来るだとか、疲れの抜け具合だとか。いままでと同じ取り組み方ではダメだろうし、体と相談しながら慎重にやっていかないといけない」
約1カ月後の6月3日に一軍に復帰したが、その後もベンチを温めることが多かった。故障した箇所に張りが出ることもあったうえ、外野は競争の激しいポジションでもあり、出番はどうしても限られた。
ただ、ベンチで見せる姿がチームの力になっていた。決して腐らず、表情は常にいきいきとし、野球を楽しむという原点の思いを体現し続けた。
「特に意識はしていません。いままでやってきたこと、教えられてきたことを実践しているだけ。自分の素のままの気持ちです」
ジャイアンツでは、大きな期待を背負いながら、なかなか結果で応えられなかった。「プロ野球選手とは何ぞや、と。プロの厳しさを教えてもらいました」と苦節の日々を振り返る。
ファイターズにトレードで移籍すると、打って変わって主軸として起用された。そこで得た学びを、こう語る。
「レギュラーとして試合に出る喜び、苦しみを味わわせてもらいました。スタメンで出てこそ覚えることもたくさんあるんだな、と」
そしていま、ベイスターズに来た大田は、どのように変わろうとしているのか。
「年齢も30を過ぎて、レギュラーじゃない経験も、レギュラーの経験もそれなりにあるので。自分のことばかりを考えるのではなくて、若い選手たち、後輩の助けになれたらと思っています。相談に乗るだとか、そういうところまでは行けないと思いますけど、野球選手として示せるものを示していきたい」
6月30日のタイガース戦、大田はスタメンで起用された。6月では2度目、同18日以来のことだった。「緊張しいなんで、めちゃくちゃ緊張しました」と本音をこぼす。
同カード2連勝で臨んだベイスターズは初回の攻撃で一挙4点を先制。大田も第1打席でヒットを放ち、気持ちはかなり楽になった。
ところが、2回以降はスコアボードにゼロが並ぶ。試合の後半に入ると小刻みに失点し、8回、ついに逆転を許した。
4-5の1点ビハインドで迎えた9回裏、先頭の桑原がヒットで出塁。2番の大田が打席に入る。
長距離砲でありながら、2番の打順には馴染みがあった。2018年、ファイターズの栗山英樹監督(当時)がそうしたオーダーを組み始めた。大田は言う。
「1番が西川(遥輝)。出塁率が4割以上あって、2~3球で盗塁してくれることが多かった。そうなれば、右打ち(進塁打)をしなきゃいけないなかで右方向へのヒットが出るようになったり、バッティングの幅が広がりました。自分の力量とピッチャーの力量、ケースと持ち球。いろんなものを考えながら打席に向かえるようになった」
バントをしない2番打者は、打ってつなぐ技術を磨いた。タイガース戦の9回裏、ノーアウト走者一塁で回ってきた打席に足を踏み入れたときも、おのずと頭の整理はできていた。
「意識は逆方向。ただゴロを打てばゲッツーになる可能性が高いので、打つ球の高さには気をつけよう、と」
狙っていた高めのゾーンに、抜け気味のチェンジアップが入ってきた。「うまいことバットに乗った」。感触はよかったが、ホームランにはわずかに届かず。それでもフェンス直撃の同点適時二塁打となった結果を「点になったので最高です」と素直に喜ぶ。
その後、進塁できないままアウト2つが重なり、嶺井博希が打席へ。カウント1ボール2ストライクからの5球目、外角低めのチェンジアップを嶺井はなんとかバットに当てた。
打球に勢いはなかったが、一二塁間をしぶとく破った。2アウトで、2ストライク。追い込まれていたから、嶺井がバットを振り始めた瞬間に大田はスタートを切っていた。三塁コーチャーズボックスの田中浩康コーチが腕をぐるぐる回していた。迷いなく三塁を蹴って、本塁へ。右翼手からの好返球が捕手のミットに収まる。大田はそこへ頭から突っ込んだ。
ただ、わずかに右側にステップを切っていた。捕球し旋回するキャッチャーミットをかいくぐるように体を投げだし、左腕だけ伸ばしてホームベースに触れた。セーフの判定に雄たけびを挙げるも、相手チームからのリクエストで判定の確定は持ち越される。大田が振り返る。
「タッチはされていないと思っていましたけど、一瞬のことなので、もしかしたら服にかすっていたりとか……」
横浜スタジアムの大型ビジョンに答えは繰り返し映し出された。判定は変わらず、劇的なサヨナラ勝ち。ファンは大田の“神走塁”に興奮していた。
ところが当の本人は、冷静に分析する。
「あれは“神走塁”とかじゃなくて。(捕手が走路を空けなければならない)コリジョンルールがなかったらアウトですから。コリジョンルールが、ああいうプレーを生んだんです」
あくまで謙虚に振り返った。
ベイスターズは現在、73試合を戦い終えた。143試合のペナントレースをちょうど折り返したところだ。この先を、どう戦っていくのか。大田は言う。
「反撃します。チームのスローガンが“横浜反撃”ですけど、自分自身も反撃するシーズンなので。少しでも多くチームに貢献できるようにしたいし、いまの状態を受け止めてチームとしても反撃していきます」
3週間後のオールスターまでに、一つでも多く借りを返しておきたい。