コラム
2022/12/28
真新しいユニフォーム。色紙にしたためられた意気込み。初々しい表情が並ぶ集合写真――。
今年もまた、新入団選手記者発表会の季節がめぐってきた。
1年前、写真のセンターに収まったのは小園健太だ。色紙には「勝利」と書き込んだ。
高校生投手のドラフト1位指名は、球団にとって10年ぶり。
与えられた背番号は“横浜ナンバー”として大事にしまわれていた「18」。
最高の評価と期待を受けて、小園はプロの世界に入った。
そんな注目右腕のルーキーイヤーが終わろうとしている。次世代エースへと成長させるべく綿密に組み上げられた育成計画。その一つひとつのステップを消化しながら、若者は何を得て、どう変わったのだろう。
「ぼくにとっての2022年ですか。毎日が勉強……ですね」
小園はゆっくりとした口調で、これまでの歩みを短く総括する。
最初のトピックは春季キャンプ。いきなり一軍メンバーに組み入れられ、沖縄・宜野湾で汗を流した。
「緊張してた部分もあったんですけど、とにかくやるしかないと思って、毎日練習していました。そのなかでブルペンに入れたのはいちばんの経験。投げないときもブルペンに行って、今永(昇太)さんであったり東(克樹)さんのピッチングを見させていただきました。先輩方のピッチングを生で、いちばん近い距離で見られたのが学びだったかなと思います」
最も印象的だったのは、球の強さだ。
「自分のボールを後ろから見たことはないんですけど、きっと違うだろうな、と。やっぱり、ベース板での強さをすごく感じたので。ファウル、空振りを取るストレートを自分も出していきたいなとすごく思いました」
1カ月の“研修”を経て、3月からはファームに合流。この時期の小園について、仁志敏久ファーム監督はのちにこう語っている。
「体の大きさのわりには筋量も少なかった」
本人は、自分の体の状態について、どう感じていたのだろうか。
「まだ、できること自体が少なかったというのはあります。ウエイトに関してもそうですけど、もっとしっかりとした形でやらないといけないな、と。まだまだプロのレベルではないということは、自分ではわかっていました」
育成計画に紐づけられた一つひとつのメニューをこなしていくことを“プログレッション(progression=進歩、前進)”というが、小園はこのプログレッションにひたすら取り組んだ。具体的にはキャッチボール、ステップスロー、平地での立ち投げなど。トレーニングによって体に力をつけ、その力をボールにしっかりと伝えられるようにすることに主眼が置かれた。
まだブルペンでの投球は許されておらず、「早く投げたい」という気持ちを抑え込む必要があった。そのため、肉体的なきつさはもちろん、精神的にも疲れを感じていたという。
ブルペンに入れたのは5月になってから。それまでの我慢を解き放つように腕を振ると、新しい感覚があった。
「平地で練習を重ねてきたぶん、傾斜のあるブルペンでは投げやすさがすごくあった。力の伝え方という部分では、少しは変わってきたのかなと思いました」
体組成にも変化はあり、入団時90.9kgだった体重は現在92.8kgに。約2kgの増加は、ほぼすべて筋肉量によるものだ。
ファームで地道に体力強化に励んでいた春、球界を賑わせたのはかつてのチームメイトだった。市立和歌山高でバッテリーを組み、ドラフト1位でマリーンズに入団した松川虎生が、佐々木朗希とともに完全試合を達成したのだ。
そのことに対する感想を求められると、小園は「ほんとにすごいなあと思いました」とだけ返した。LINEの履歴を見返しても、4月は一度もやりとりした形跡がない。「皆さんが思っているほど(連絡は)してないんですよ」と苦笑する。
むしろ意識が向けられていたのは、同世代の投手たちの動向だ。
3月31日、真っ先に公式戦デビューを飾ったのは、タイガースの森木大智(高知高)。4月10日にはファイターズの達孝太(天理高)も続いた。その後も高卒1年目の投手が実戦登板の機会を得ていくなか、ファンの間では「小園はまだか」との声が強まっていた。
「自分も『まだかな』と思ってましたね(笑)。いろいろとやらなければならないことがあって、段階を踏みながらということはわかっていたんですけど……やっぱり同世代の子たちが投げているのを見ながら『いいなあ』って」
じりじりしながら迎えた夏、小さな一歩を積み重ねた先に、初の実戦マウンドは待っていた。
8月4日、イースタンリーグのイーグルス戦に5番手として登板し、三者凡退。投じた11球のうち9球がストレートだった。
同20日には、同じくイーグルス戦で2回を投げ、無失点。さらに同28日、スワローズ戦では1回2/3、1失点(自責0)という結果を残す。
9月に新型コロナウイルス陽性判定を受けたため、ファームでの登板は上記の3試合に留まった。最も印象深いものとして小園が挙げたのは2戦目だ。
その理由を、次のように話す。
「2アウト二三塁のピンチがあったんです。バッターが西川(遥輝)さん。打ち損じだと思うんですけど、ファーストゴロで打ち取れて。初めてランナーを得点圏に背負った場面だったので、すごくいい経験になったかなと思います」
実績のある打者に対し、ひたすらストレートを投げ込んだ。力で押し切れたとは思わないが、点を失うか、しのぎきれるかの緊迫感を久々に味わい、結果としてゼロで切り抜けられたことは好材料だった。
同時に、課題も浮かび上がった。
西川に対しストレートで押したのは、変化球が精度を欠いていたからだった。ストレートにしても、春季キャンプで今永らが見せたようなベース板での強さは「全然まだまだ」。
この秋に参加した「みやざきフェニックス・リーグ」では、先に投げた同期の深沢鳳介が失点を重ねたあとに登板し、その流れを止められないまま自身も大崩れしたことがあった。「試合ができあがった状態で投げたときに、気持ちであったりとか、うまく入り込めていなかった」とメンタル面を反省する。
一軍のマウンドまでたどり着くには、いくつもの起伏を越えなければならない。
小園が、球団によって“育てられている”ことは間違いないだろう。だが、それがすべてでもない。
この1年間のうちに交わしてきた指導者との言葉の数々。その多くが心に染み入るものだったが、大家友和ファーム投手コーチに次のように言われたことは、小園にとって大きな意味があったようだ。
「最終的には、やりたいようにやっていいぞ」
小園は言う。
「中学、高校と、自分で考えながらやってきたので、プロに入って、人に任せきりになるよりかは、ある程度は考えながらやりたいという思いがありました。大家さんにそういうふうに言ってもらえたことは、ありがたかったです」
あくまで自分のプロ野球人生。球団の育成方針に自らの意思もミックスして成長を期す。
「今年は全然投げなかったぶん、来年は一軍で投げたいという思いがすごくあります。まずはキャンプからしっかりとアピールをして、一軍で先発で回れるように、がんばっていきたい」
来シーズンに向けて、19歳はそう誓った。